ある日Rさんが宿題を持ってきました
これ分かんないんだけど
問題 400㎡の畑に60㎡だけトマトを植えました。植えた面積は全体の何パーセントでしょう?
これが分からないかぁ
だってさ、面積だけでパーセントって
どうやって出せっていうのよ
じゃあさ、100㎡の畑にRの好きな
トウモロコシを50㎡植えました
それ、やばいわ~。
シャキッとコーン何缶作れるんだろ?
い~から。
で、トウモロコシを植えたところは全体の何パーセント?
50!
だよね。それどうやって計算したの?
・・・カン!
・・・、勘って何よ
いや、そーなりそーだなぁーって
答えはあってるんだよ。
それをどうやって求めたか考えたら
分かるんじゃないかな?
いや、勘だから計算してないし
(イライライラ)
半分なら50だって誰でもわかるよ。
さっきの問題書き変えちゃうか
コントじゃありません。リアルです。
獅子は我が子を千尋の谷に落とすっていうけど
親を千尋の谷に落とすのは人間なのか?って。
危うく虐待するところでしたよ、ホントに。
この後、50÷100をやって、少数からパーセントに変換するのに
何分かかったことやら。
何とか計算で50パーセントを求めることが出来たので最初の問題へ。
父「じゃあさ、400㎡のうちの60㎡だったでしょ。何パーセント?」
R 「ちょっと待って、計算する」
父「お、行けそうか?」
R 「3/20パーセント」
父「ぐちゃぐちゃになっとるわー」
怒りよりも脱力で失禁しそうでした。
具体から抽象へ思考していくような気はしますが、
分からない子には具体×具体×具体でいくのかなぁ。
でも、Rみたいな子供と難関高校に進学する子供を一緒に
教えるなんて中学校の先生には頭が上がりません。
最終的には、
同じ問題だったら大丈夫だと思う
ってことで。
それでも「思う」止まりかよぉーと悲しくなりかけましたが
本人はそれなりに満足したみたいだし、落ち込んでもいない。
本当に不思議なのが、今回みたいな問題でもそうだし
学校でもらってくる通信簿でもそうなんですけど、
出来なくても「全然気にしてない」ように見えるん
ですよねぇ。
昭和生まれの父としては、
出来なかった
↓
悔しい、何とかしたい
↓
ちょっとは勉強するか
みたいな流れを想像しがちなんですけど
双子を見ていると
出来なかった
↓
まぁ、そーゆーこともある
↓
TikTokでもみて楽しもう
となっちゃうから変わらないような気がしてて。
R 「だってさ、父がさ、『試験のための勉強はしなくていい』って言いましたよね?」
父「はい。言いました。」
R 「前からずぅ~っと言ってましたよね?」
父「間違いありません。」
R 「私たちさ、素直だから。だからテストのための勉強はしないの」
父「・・・間違ってませんね。」
「勉強はテストの為にするもんじゃない!」
って確かに言ったけど、
『普段から勉強なんかしなくていい』
なんて言ってないんだけどなぁ。
勉強ってそれ自体にも面白みがあるような
気もするんだけど。
まぁ、シャキッとコーンで考えるとパーセントが
分かったことにして笑い飛ばしておこう。
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